こんにちは。さらに寒さが増してきた今日この頃ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
一昨年は台風かと思うほどの強風で本当にまいりました。寒すぎる。
皆様も体調管理にお気をつけください。

さて、今回は前回に続いて「TATSUYA ART COMPETITION 2021」、通称「タツコン2021」関連のお話です。
一つ前の記事で、「タツコン2021」参加作品の解説について「明日以降書く(絶対長い)」とか言ってましたが、あれから一週間
いや、予告していた通りのものすごい長文になったので、こんな大遅刻になってしまいました。
しかも、それでも書きたい要素全部入れるのは諦めていて、それでこの長さは最早異常。
日記への愛が重すぎる…。
なので、これはやべぇと思ったら読むのをやめていただいて構いません。むしろ推奨かもしれない…。
…と、その前に、まだUターンしないで!!
宣伝だけさせてください!!(必死)

今回の「タツコン2021」全参加作品の遠隔投票・通販ページが公開されていますので、こちらにリンクを貼っておきます↓

https://www.t2y.info/artist01/12957.html

私はNo.92で参加中。
こちらのページから全参加作品(150点)の画像を閲覧できます。通販も可能。
私の作品は、何とありがたいことに、通販が始まる前に初日の段階で売約いただいているとのことです。
本当に嬉しいです。ありがとうございます。
後述しますが今回本当に想いが強すぎるので、それを知った瞬間思わず天を仰いでしまいました。

それはさておき。投票はまだまだ受け付けております。
遠隔投票にご参加いただける方は、ページ内に遠隔投票用フォームへのリンクがありますので、そちらで投票用紙画像を作成後メールまたは郵送でギャラリーへお送りください。投票は1人4作品(それ以上でもそれ以下でも無効)。
この投票用紙は印刷されて作家本人へ渡るようになっています。
遠隔投票時の注意事項たくさん書かれていますが、重複投票の防止や、投票用紙を印刷する上での問題回避などのためなので、ご協力よろしくお願いいたします。

さて、ここから先は今回の参加作品についての解説になります。
オトタツやZEROTEN同様、作品の基本情報は遠隔投票・通販ページに載せていただいていますので、そちらをご参照ください。
また、ギャラリーに提出している画像は、実際に見たときの雰囲気に近づけるために写真撮影したものを使用していますが、ここではスキャンした画像を載せます。
…色合いが変わってしまうのはいつものことですが、今回、過去イチかなというレベルで違うので自分でも困惑。
作者の記憶としては、色合いはどちらかといえば写真に近く、全体の濃淡の再現度はどちらかといえばスキャン画像だと思います…(画像編集が下手すぎる)もう自分では確認できないので本音を言うと現地で見てほしいです…。
というか、現地へ写真撮りに行きたかった…うぐぐ。


「記す人」(2021年制作)

THE・シンプルなタイトル。
下手に余計な言葉は入れない方がいい。今回はこれだけで充分かな、と思いました。
実は、いつかこのモチーフを描く日が来たらこのタイトルにしよう、と以前から考えていたものの一つだったりします。

テーマ:「結び」の解釈について

今回の「タツコン2021」、参加作品全体のテーマは「結び」です。
まず、「結び」という言葉が何を表すのか。
多くの方が最初に思いつくのは、「繋ぎ合わせる」という意味だと思います。
離れていたもの、離れそうなもの、別々だったものなどを繋ぐ。
…もうこの時点で、描きたいものが大体決まってしまいました。
(コンペに出す作品なのだから、いろんな可能性を考えて他の意味も一応調べろよ、と今なら自分に突っ込みたいところです)

その決まってしまったものというのは、「日記」

日記は、日々の出来事や感想などを、日付をつけて記録するもの。
毎日書かなくてはならない、というイメージを持つ人も多いようですが、実際はそんなことはありません。
かくいう私も、長年日記を続けていますが、実は年間で書いてない日の方が多いような状態です。
大事なのは、自分の言葉で、自分のペースで書いていくこと。

好きなタイミングでノート等を開き、それまでの出来事などを思い返す。
その日のことだけでなくても、ついでに思い出した別の日の話でもいい。
それらを自分の言葉で、好きなように書いてまとめる。
…地味に見える行為ですが、これを続けていくとどうなるか。
自分がその日そのとき、何をやっていたのか。何を思っていたのか。
何がうれしくて、何がつらかったか。
何に対して怒りを覚え、何を悲しんで、何を決心したのか。
自分にとって印象的だった出来事や思考などが、日記という媒体に紐付けられることでどんどん繋がっていくのです。

全ての物事をずっと記憶し、自由に引き出すという器用なことは、人間にとって難しいことです。
重要そうなことでも割とあっさり記憶の彼方へ。
しかし、こうして日記としてカタチにしておくと、大切なものをもっとたくさん取っておくことができます。
自分で考えて言葉にすることで、そのままにしておくよりも一層印象深く記憶に刻まれます。
たまに読み返すと、完全に忘れてたと思っていたことでも、一気に記憶が蘇ってくることもしばしば。
また、蘇らないこともしばしば。何だっけこれ、的な記述はよく見つかります。
それでも、書いた自分がそのときそこで何かをして、“生きていた”
その証であることには変わりません。

私はちょっと生き方が下手くそで。
この、自分で書いてきた日記という存在に、ずっと支えられてきました。

こうした自分の長年の日記経験から、日記に対して一つの言い換え表現を持っています。
「日常の結晶」
日記を書く人の姿や、日記そのもの。
それは、誰にも見られないかもしれないけれど、とても尊い存在。
今回の制作とは関係なく、ずっと思っていたことです。
そこで今回舞い込んできた「結び」というテーマ。
これは私が強い思いを込めて描けるものだ、と思って制作に取りかかりました。

…既にものすごい文章量になってますが、これが誰にも読まれない文章を書き続けた弊害です。話が長ぇ!!

「日記」と私

ここで、何で日記という発想が出たのかという話に繋げるために、少々自分語りを。
私は中学生の頃から日記を書いています。
書き始めたきっかけは些細なもので、「とあるミュージシャンの日記本を読み返して改めて日記の良さを実感した」から。
…らしいです。一冊目の1ページ目にそう書いてありました。
ちょうどその辺にあった大学ノートに、シャープペンシルで、ヘッタクソな字でしょうもねぇことを書き始めたのが最初。
その後、時期によって書く頻度に差はあれど、何だかんだで20年くらい続いています。
絵を描き始めた時期の方が日記よりずっと早いのですが、自分の中での比重は半々、というくらいのハマり具合。
そんなことをやっていた結果、現在は雑貨屋勤務で、ノートや日記帳、手帳などの売場を担当し販売する側の人間になりました。
おかしいな、私は絵で生活したいと夢見ていたはずなのに。いや今も思っているけれど。
今回の作品では、私が現在の仕事で触れるようになった、筆記用具を中心とした様々な雑貨たちの知識やイメージがいろいろと滲み出ていると思います。

とりあえずのまとめ

さて、こんな感じで長年日記を書き続けている私ですが。
始めた頃は本当に何となくだったものの、その後大人になってから、自分の中での日記の意味合いが変わってきました。
先に書いたように、いかにも重要そうなことでも人は簡単に忘れる
歳を取ってからそのことに実感を覚えるようになってきました。
人生のあれこれを日記に書きつけ、読み返すことが、とても深い意味のある行為だと思うようになったのです。

…ここから先はそれについて詳しく書きますが、本当に自分の話ばかりで長すぎるので、気になる方だけどうぞ。
別にいいや、という方はここでやめるか、最後の見出しまでスクロールしてください。


「日記」と記憶の話

私は、幼い頃の記憶があんまり思い出せません。
具体的には、小学生くらいまでの出来事。
その原因として考えているのは、子どもの頃から直せていない私のコミュ障です。

実は私は、出身校と生活区域が少し多いタイプの人です。
引っ越しと、あとは受験の結果。
具体的には、幼稚園と小学校①、小学校②、中学と高校、大学と大学院がそれぞれ別の都道府県です。
場所が変われば人付き合いする上での物理的な距離感も当然変わる。
コミュ障で、同じ人と長く付き合うことが難しかった私は、この環境変化に対応することができませんでした。
学校が変わり、別のコミュニティに移ったらそこまで。
その場ではそれなりの過ごし方ができても、会う理由がなくなってしまうと、それ以降は連絡を取ることは一部例外を除いてほぼありません。
そんなことをしていた結果、どうなったか。
いろんなことが思い出せなくなりました。

いや、本気で全てを忘れているわけではないようです。
何かのきっかけさえあれば、例えばネットで知ってる場所を見たなどの些細なことから、意外とするっと思い出が蘇ることはあります。
その、きっかけがないというのが問題でした。
人付き合いが続いていれば、あんなことがあった、このときはどうだった、などの話題がそれなりの頻度で出てくるはずです。
そういう思い出す機会の積み重なりで、思い出は深みを増していくのだと思いますが、それがない。
私の人生、思い出がなさすぎる。真面目に生きてきたはずなのに。
いや、本当に生きているか?
私の人生、思い返せば、こうした「自己喪失感」との戦いでした。

私が日記を書き始めたのは中学生の頃から。
今見ると本当にしょうもねぇことばかり書いていましたが、紛れもなく自分が書いたもの。
読み返しても思い出せないことは割と多い状態です。
それでも、少なくとも中学生時代から先は、生きていたんだなぁと思ってます。これのおかげで。

これからも私は、ひっそりと日記を書き続けると思います。
自分だけのために。
私が死んだ後、これを見る人がいるかはわかりません。正直見られたくはない。
というか、今から爆裂コミュ力おばけになるとは到底思えないので、日記を見られるどころか死ぬときもきっと一人でしょう。
なので、私の最期の言葉は日記の最後の1行になるんだろうな、と思ってます。
毎回毎回、最後になるかもしれない言葉を書いて日記を終える日々。

…とここで、制作の途中で一応「結び」の意味をちゃんと調べたことを報告しますが、意味のひとつに「締め括る」というものがありました。
そういえばあった。「結びの言葉」、というやつですね。
あれ、上手い具合に結びついたな?と思いました。
そうです、前回の記事で「結び」=結末という解釈、的なことを書きましたが、あいつは実は後付けです。やりやがったな自分。


結びの言葉

いや、長すぎるだろ!!
もしここまで本当に全部読んでくださった方がいらっしゃったら、本当にありがとうございます。すみませんでした。
実はもうちょっと語りたいことがあったのですが(小道具の内容など)、いい加減やめておきましょう。
気が向いたら別の記事にするか、Twitterでつぶやくことにします。

繰り返しの宣伝になりますが、こちらの作品を出している「タツコン2021」は12月25日(土)まで。
通販と遠隔投票は、それよりも期限が早いのでお気をつけください。
たくさんの素晴らしい作品が集まっています。Web閲覧可能ですので、是非楽しんでいただければ幸いです。
私も後日、遠隔投票に参加しようと思います。

それでは今回はこの辺で。ありがとうございました。