こんにちは。いよいよ寒さが厳しくなってまいりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
私は先日、おそらく人生で初めて愛知県へ日帰りで行ってまいりましたが、1日を通して体感的に私が住んでる関東の方が寒かったので驚きました。
寒いかもしれないと思って念のため持っていってた防寒具類が何ひとつ要らなくて、ただの荷物になってずっとリュックの中に入ってた思い出…。
そう、現在参加中の「タツコン2022」が開催されているGALLERY龍屋さんに、先日初めて行ってきたのですよ。
それはさておき…今回はその「タツコン2022」に関するお話です。
遅くなりましたが遠隔投票・通販のお知らせと、今回の参加作品について解説のようなものをしたいと思います。
遠隔投票・通販用のページはこちら↓
https://www.t2y.info/artist01/17057.html
私は今回、No.61で参加しています。素数だ、素数!
こちらの遠隔投票・通販用ページからは全参加作品(153点)の画像を閲覧できます。
今回はどちらも受付期間が同じで、12月16日(水)18時で受付終了。
毎年、期限後の申込が複数あるようなので、ご注意ください。
遠隔投票は、専用フォームに入力して送信することで投票完了となります。
一部の機種はフォームに対応していない場合がありますが、遠隔投票はあくまでコロナ対策で実施されているものです。ご了承ください。
フォーム製作者は今回No.3で参加されているあべゆりさんです。いつもありがとうございます。
投票は1人4票。必ず4人の作家を選んでください。
それより多くても少なくても無効となりますのでご注意を。
投票用紙は印刷されて作家本人へ渡るようになっています。
龍屋さんのアートコンペは、この「投票用紙を作家へ渡す」ということが目的になっているそうです。
是非感想も添えていただけますと、参加作家たちの今後の活動の糧になります。
ご協力いただける方は、遠隔投票時の注意事項をよくご確認お願いいたします。
ここから先は、参加作品についての解説になりますが、いつもの如く長い。
長すぎてブログに出すの遅れるのを見込んで、Twitterの方で先出ししてましたが、おそらくそちらの方が短く区切られてるので読みやすいと思います。
こっちでは余計な話も追加してる分さらに長いのでご容赦ください。
長文嫌いな方はここで画面閉じるか最後のブロックまで飛ばしましょう。
①「ideas」(2022年)

何気ない日々の中で書き留めた言葉の数々は、いろんなことを思い生きてきた日常の結晶であり宝物。そして新しい宝物を作る出発点にもなる。
ベッドの中で小さなデスクライトをつけて、何かを書いている青年。
その左手には彼が書いた小さなノート。ベッドサイドには大量のメモ帳やノートたち。
自分だけの日々の積み重なりであるノートたちを読み返し、そこから生まれた自分だけの発想で、新しく何かを生み出している様子です。
昨年のタツコンで出した作品も何かを書いている人でしたが、今回はどちらかといえば左手に持っているものや右側に積まれているメモ帳やノートたち、「書いたモノ」がメインとして描きました。
タイトルの「ideas」が指しているのもそれです。
全部小文字で表記しているのは、アイディアが詰まっているけれどまだちゃんとしたカタチにはなってない、現状ではただの何の変哲もない一欠片でしかないものの集まりという意味をこめて。
この中からいずれ、特別な一つの「IDEA」として大成するものがあるかもしれないけれど、今はどれも卵の状態。
実はこのネーミングには元ネタのようなものがあり、尊敬するアーティストのKANさんが過去に出したベストアルバム『IDEAS』と、そのセルフライナーノーツに書かれていた言葉たちが発想源になっています。
②使用画材等について
使用画材は油性色鉛筆(ファーバーカステル「ポリクロモス」)、水彩色鉛筆(ステッドラー)、顔彩(吉祥)、パステル(ゴンドラ、ヌーベル)。
支持体はホワイトワトソン水彩紙。
…なんか私にしては使用画材多めですが、これは描いてる途中で色に深みがなかなか出なくて試行錯誤してた結果です。
使い慣れた画材に加えて今年から使い始めた顔彩が入ってるあたり、今年の集大成感が出ているなぁ、と。

③作品のテーマについて
今回の「タツコン2022」、全体テーマは「日常」。
…私は昨年のタツコン作品で日記を書いている人を描いたとき、日記の言い換え表現として「日常の結晶」というワードを使いました。
「全ての物事をずっと記憶し、自由に引き出すという器用なことは、人間にとって難しいことです。
重要そうなことでも割とあっさり記憶の彼方へ。
しかし、こうして日記としてカタチにしておくと、大切なものをもっとたくさん取っておくことができます。
自分で考えて言葉にすることで、そのままにしておくよりも一層印象深く記憶に刻まれます。
たまに読み返すと、完全に忘れてたと思っていたことでも、一気に記憶が蘇ってくることもしばしば。
また、蘇らないこともしばしば。何だっけこれ、的な記述はよく見つかります。
それでも、書いた自分がそのときそこで何かをして、“生きていた”。
その証であることには変わりません。」
…昨年の作品解説で書いたやつコピペしました(横着…)。
このときは日記に関する話として書いてたのですが、何もそれだけに限らず、自分で記録したものであればこの考え方は共有できると思ってます。
単語や短文だけのメモやら雑記やら。写真や資料を貼っただけのものなども。
心の中の何かに引っかかった。諸事情でそのとき必要だった。理由は様々でも、一度自分の中を通過したものはどれも現在の自分を形成するパーツの一つ。
そんな些細かもしれないことの連なりから、自分にとっての「日常感覚」というものが生まれていると私は考えています。
「日常」というものは非常に曖昧な概念です。
私はこれまでの制作でも「日常」を意識してきたところがありますが、そこで大切にしているのは、日常は「それを語る本人にとっての今の視点での話」という考え方。
自分にとっての日常は誰かにとっての非日常だし、昔の自分にとっての日常も今の自分にとってはそうでもない(学生時代の毎日とか思い出すと今の自分には絶対無理ィ…)。
同じと思える時間も毎日必ず何かが違う。常日頃全く同じことをやっているわけではないのです。
それでも人が何かを「日常」とカテゴライズするのは、自分の人生の時間に当たり前と言えるものがあることで、良くも悪くも思考停止できてある種の安定感が得られるからなのかな、と思いました。
毎日全部違うと思ってたら疲れちゃいますから。
日常を穏やかで安らかな時間だと思えるときは、煩わしい余計なことを考えなくていいものとして安心感を得られたとき。
逆に日常がつまらないと思えるときは、自分にはどうしようもできない、今はそういうものとして考えるのを放棄し諦めたとき。
…そういうことなのかな、と。
実際には生きている中でいつでもどうとでも変わるわけですが、本人がどう考えているか次第だと思いました。
そうして、本人にとっての「日常」があることでそこに安定感が生まれ、それがその人にとっての思考のベースになると私は考えています。
人によって日常感覚に違いがあることは、特に大人になるにつれて私も実体験としていろいろ感じてきました。
生まれた時代。住んでいたところ。何を経験し、何を見てきたか。
その人にとって何が、ずっとそこにあると思いたいものとして、あるいはどうしようもないものとして存在してきたのか。
この辺が、その人がモノを考える際の前提条件になることは多いと思います。
なので、日常にはその人らしさがよく表れますが、本人はあまり気づかない。当たり前すぎるから。
生きている中でちょっとした違和感が生じても、大部分の当たり前だと思っていることに隠れて忘れてしまう。
でも、その日常である当たり前の部分と、少しの違和感こそが、その人らしい発想に繋がると私は考えています。
人間は何かを考え、何かを生み出すことで生きている。
その人らしい発想というのは、すなわちその人にとっての生きる糧であり、宝物です。
日常は生きる中で変わっていき、当たり前に隠れたものも思い出しにくくなっていく。失ってから大切さに気づくかもしれない。
ここで最初の日記の話に戻りますが、私が日記や雑記の類を愛しているのは、そんな今忘れがちなことやもう忘れてしまったことに会いに行けるからです。
今回私が「日常」をテーマとして描いたのは、使い古しのメモ帳やノートが積み重ねられた光景。
これは、私が日常の結晶だと考えている正にそのものだということです。
④制作でこだわった点

これはもう何と言っても右側のタワーですね。
ただ冊子を描いただけだと全部書籍に見えてしまうので、(多少書籍が混ざってるくらいならいいとして)大半は自分が書いたメモ帳やノートだよ!とわからせるためにどう描いたものかと試行錯誤してました。
そのためにはまず実物を見た方がいい、と。
とりあえず自分の使い古したメモ帳やノートをかき集め、どの辺に使用感が出てくるのかを見ながら描いてました(大抵は角の露出したページ部分がわかりやすくクタっとしてた)。
また、雑に散らばらせたり綺麗に立てて並べたりせず平積みにしたのは、「モレスキンタワー」と呼ばれるものをモチーフにしたからです。
一部モレスキンユーザーが各々使い切ったノートが高く積み上がっていく様子に喜んでこう呼んでいるとのこと。
…だと思ってたのですが、モレスキンの公式Twitterでもこのワードが普通に使われていてハッシュタグまで付けてるのを最近知りました。公式呼称だったの…。
私は昔から部屋掃除が下手くそで、ノートなど紙類は室内で雑に平積みにしてることが多いのですが、自分の使い切ったノートが高く積まれている姿は、自分の歴史の層を見ているようで結構好きなんです。
モレスキンタワーの画像を初めて見たとき、あぁ私の好きな世界が私以外の人の中にもあったのか、と嬉しくなったのでした。
じゃあ今回はこれにしよう、と。
こうした制作のきっかけへの敬意を表して、タワーの手前にある一冊と彼が左手に持っているものはモレスキンをモデルにしました。
ノートやメモ帳は使って初めてわかる相性があるので、画面内の彼もいろいろ試しており、今回描いたタワーは種類が途中でコロコロ変わってます。
これらは私物ノートがモデルで、すなわち実際の既製品ノートたちが元になっているのでところどころ特徴が残っていたり(そのまんま描くのはまずかろうと思ったのと都合により変えたのとで、実際のものとは少し違う部分があります)。

それとは別に、右手の方に大きめのノートで書いていますが、これは自分で書いたメモの内容からの着想をノート上でさらに発展させる様子を描いています。
世間に数多存在するノート術の中でも割と定番に近いと言っていい、左右分割してメインと追記部分を分けるパターンにしました。
有名どころだとコーネル式ノート術や、前田裕二氏が『メモの魔力』の中で紹介していた「知的生産のためのメモ」のメモ術などがこれですね。
メモを見返しながら彼はめっちゃいい笑顔ですが、きっと何か思いついたと同時に書いたときのことを思い出してるんでしょう。
懐かしさやら驚きやら楽しさやら、いろんな感情が巡っていると思います。
以上、恒例の長文解説と小ネタ情報でした。
相変わらず個人的には、「解説がないとわからないようなことはわからないままでいい。作品を見てどう思ったかが全て。」の精神なので、読まなくても大丈夫だと思いながら書いてます。
実際、ギャラリーに滞在した時も何も話さずに帰りました。
後から気になった方だけ見てくれればいいかな、と。そのときのために書いてます。
長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。
「タツコン2022」も残り数日となりましたが、最後まで楽しんでいただければ幸いです。
それでは今回はこの辺で。ありがとうございました。
(追記)Twitterで先出ししてたときのツイート(この記事内には書かなかった小ネタもちょっとある)と、ギャラリーにお邪魔したときの写真の一部を貼っておきます。




